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再生核研究所声明560(2020.5.3) 人生とは何か。どのようなものか。

再生核研究所声明560(2020.5.3) 人生とは何か。どのようなものか。

ここ数日、ひとりでに考えが纏まってきた。 まずは背景、前書きである。

私は、本能的に生まれながらに 人生の意味を知りたいと思ってきた。 そこで、お釈迦様の生き方や親鸞の悩みを強く印象付けられてきた。 それで有名な言葉として 藤村操の 人生は不可解である があり、人生は理解、捉えられないという言わば、不可解の強い 世の常識がある。ところが50歳の時に、言わば悟るように ひとりでに 湧いた、人生の基本定理、人生の意義は感動することにある を得て、相当に世界観の変更、人生の基礎が確立してきたと考えている。今でも良いところを捉えていると 考える。

現在、コロナウイルスで世界的に交流が減少し、静けさが世界を覆っている。他方、自然の美しさは 神秘的なもので 豊な自然の恵みに感謝の念が 湧いて来る。人生とは何かは 言わばゼロ除算、汝ゼロで割ってはならない   のように 世界史の禁じ手と考えられている。偶然、岡本一志氏の

【おかもんのライブ配信アーカイブ】

4月は11日から26日までライブ法話しました

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が公開されている。不思議なことに、ゼロ除算も 人生の意味、意義も 実は当たり前で、既にすっかり 分かってきたように 思えて来た。 ゼロ除算で生涯悩んでいる人 曰く、ゼロ除算1/0 は 想像もできない程 難しい問題で 神秘的であると。 しかるに、我々は、ゼロ除算は当たり前であると 6年を超えて主張、日々世界に意志表示を続けている。

既に多くの友人、先輩方を失い、彼らが 結局人生についてどのように考えたか、定かではなく、結局 人生をどのように捉えたかは 大いに興味のあるところであるが、生涯の関心事であったことから、今や 正面から 言及したくなった。

まず、人生を考える場合に、人間とは何かをしっかりと捉える必要がある。人間とは生物であり、動物であることを先ずはしっかりと捉える必要がある。それゆえに 人生を語る場合にも 我々がそれらの事実を基礎に考える必要がある。 大事なことは 我々は 作られた存在である ということである。それで生物の本能に従うは必然である。 実際、居、食、住など生物の本能をしっかり捉える必要がある。

我々は作られたもので、生物の本能に支配されている。生物の基本的な本能が満たされて、居、食、住など生物の本能が満たされて  始めて、余裕ができて よく人生とは何か と問うことが出来る。

感動とは 好きなことをして、できて、 湧いてくる喜びの気持ちである。 良い感動をするように 我々が在りたいと願うのは当然であり、それは 我々を創造されたものの意志である と考える。

それ故に、人生とは実は 簡単であった。 好きなことをすれば良いのである。これが基本で、究極である。

それで、基本は捉えられたのであるが、問題は、人間、個人、自分が何が好きで、何に感動するかが、適切に捉えられないこと、さらに分かっても 好きなようにできないことである。

後者では 人間の社会の中での許されること、秩序の問題が直ちに出て来るが、その原理も実は簡単で、実際、再生核研究所声明1、公正の原則 で 世界の秩序は求められる。 すると、実際にはその秩序の中で、社会の中で、環境の中で、 好きなように生きること、それが人生である と言える。

すっかり 我々の在りようは 明白、明確である。

個人には、個性があり、何が好きか、何に価値を置くかは 個人の問題であり、 個人の置かれた環境で 対応はまちまちであるから、 人生の実際的な在りようは 人に寄ると考えるのは 当然である。

それ故に、自分の心を環境の中でしっかり、捉え、社会の中で、どのように自分を活かして行くかと 発想しよう。

それで、人生如何に行くべきかは 明確、明瞭である。 --  気づいてみれば、当たり前のことを述べている。

それでは、例えばお釈迦様の最初に出会った悩み、普遍的な問題、神、自由、不死、死やうつろい行くものに対する感性はどのようになるだろうか。それらは世の道理、流れで、大きな流れで世界を観れば受け入れられるようになるだろう。 後悔には及ばず、肯定死を迎えられるようになるだろう。 その心は 人生は帰するところ、ゼロから始まってゼロに帰する という事実、真実を深く理解することであり、それが修業の核である と言える。 ゼロを、無を深く意識することは生、生きることを捉えることであり、明暗、生命を輝かせる素になり、無限がゼロで表現される数学の基礎に通じている。ゼロ除算の認識は 修業にも 本質的に貢献するだろう。神、自由、不死を求めることが出来る。 真知恵への愛が ー 神の意志を推し量ることこそ、人間の生きる究極の目標である。次も参照:

再生核研究所声明554(2020.3.21) 数学と生命の終末と再生

再生核研究所声明555(2020.3.31)ゼロ除算の数学を越えた影響

再生核研究所声明557(2020.4.13) 肯定死の肯定を - 公認を提案する

                           以 上                                                     

2020.4.30.15:22 異常に美しい新緑の季節、一気に書く。

2020.5.1.4:43 快晴、それでは 以降書き進める。5時 山に散歩に出かける。

2020.5.1.11:36 美しい日。

2020.5.1.20:17

2020.5.2.04:36 良い、できていると言える。 小鳥達のさえずり。明るさが出て来る。

2020.5.2.19:54 正午から、午後3時まで山で働く、結構な労働をして、シャワーを浴びる。夏の感じ、午前中買い物に出かける。

気に入ったものが買えて満足、楽しかった。フキもタケノコも山椒も、クレソンも美味しい。これは良い。

2021.5.3.04:48 良い、では1時間半、野原、森林を深く散歩してくる。山椒、タケノコも採って来る。

2020.5.3.06:41 良い、とていどうり 巡って来る。奥深くの森に、70年以上前の隠れ家があり、ここ30年以上誰も立ち入らない廃墟、ある目的のために使う、改修することの意思表示の掲示をしてくる。 イノシシのタケノコ掘りは凄い。 完成、公表。