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創業4年で世界59カ国に展開。マーケティングにかけたReproの軌跡・前編

世界中のアプリの成長を支援するーーアプリのマーケティングツールを提供しているRepro株式会社は、ツールの提供以外にもアプリの戦略立案から運用までを一気通貫で支援しています。代表取締役の平田祐介が、このビジネスモデルに到達するまでの波乱に満ちた歩みを振り返ります。

未踏の地への憧れが、僕を起業家の道へと導いた


(写真:高校時代の平田。アルバイトで稼いだお金で単身ヨーロッパへと渡った)

高校2年、単身で渡ったヨーロッパでの2カ月間が、僕を起業家人生へと導きました。

見るもの、食べるものすべてが初体験で刺激的で。知らずに迷い込んでしまったスラム街でからまれ、ニコニコしながら走って逃げなければならないこともありましたが、世界にはまだまだ僕の知らない刺激的で魅力的な光景が広がっていることに気づかされました。

未踏の地に足を踏み入れ、現地の生活を体験することに興奮や感動、面白みを感じた僕は、人生の目標を「世界中で行ったことのない場所をなくすこと」と定めます。

この目標を達成するためには、「45歳までには時間的・経済的な余裕をつくり、健康的な身体を保っているうちに経済活動からリタイアする」ことが必要だと考え、起業家の道を歩むことを決意しました。

その後、大学生の時に立ち上げた事業で数年間暮らせるくらいのストックをつくった僕は、就職活動をすることもなく、大学卒業後に未踏の地をなくす旅に出ました。そもそも、「サラリーマンになる」という気がなかったんです(笑)

ところが2年後、そんな僕の考えを一変させる出来事が起こりました。

旅を終え帰国した僕は、大学時代の同級生と再会します。

かつて僕が半ば軽んじていた“サラリーマン”になった彼は、まるで別人のように輝いていました。今取り組んでいる仕事の内容ややりがいを活き活きと話す彼を前に、僕は自分が追い抜かれ、負けていると痛感させられました。圧倒的に負けている自分に納得できなかった。

学生時代とは比べものにならないほど成長した彼を見て、とんでもない焦りに襲われた僕は、この出遅れてしまった2年をどう取り戻すか、同時に自分も圧倒的に成長できる方法はないものかと先輩に相談しました。そこで、当時最も厳しいと言われていた外資系コンサルティングファームの戦略チームに就職することを決めたんです。

この5年間は、本当に死ぬほどきつかった……。

ファームに入る前まで僕は自分のことを“できるやつ”だと思っていましたが、就職して最初のプロジェクトで、僕は当時の上司から戦略チーム「クビ」を言い渡されます。プライドは粉々です。

その後別のチームで結果を出して戦略チームに返り咲きを果たしますが、当時は本当に追い詰められて……何度その上司を殺そうと思ったことか(笑)

ですが、当時の先輩たちの仕事に対する姿勢、ミーティングがはじまる1秒前までクライアントに対して良い提案を考え続けるそのプロフェッショナリズムに触れられたことが、今の自分を形成していると実感しています。

当時の上司には本当に感謝していますね(笑)

いただいたお金以上の価値を提供する。2度の事業失敗が教えてくれたこと

その後、先にファームを退職して起業した先輩から連絡をもらい、このタイミングを逃すまいと僕も会社をやめて27歳で1社目を起業することになります。

ところが事業は失敗。

2社目を立ち上げますが、こちらもあっという間に畳むことに。

僕は2社目を潰すまで、自分が17歳の時に決めた「45歳までに時間的にも経済的にもリタイアメントできる状態を実現する」という自己中心的な目標しか持っておらず、仕事はそのためのお金をつくる手段としか考えていませんでした。

コンサルタント時代に先輩から何度も何度も聞かされていた、「仕事はお客様からお金を頂戴し、いただいたお金以上の価値をお返しすることで成り立っている」というビジネスをするうえで一番大切なことを、自分が起業した瞬間に忘れていたんです。

今考えると、この僕の自分本位さがユーザーのためにあるべきサービスにも反映されてしまい、会社的にも社会的にも失敗することにつながってしまったんだと思います。

この2度の失敗を経て、当たり前だけれども大切な、いただいたお金以上の価値をお返しすることだけを大切にして起業したのがReproです。

そして、ここで立ち上げた「Repro」の事業には、僕が2社目に起業した会社で得た経験が生きることとなったんです。

なぜ売れないのかーー自分の足で見出した“答え”


(写真:平田にとってReproは、3社目に起業した会社。なかなか売れなかった苦労が、“一気通貫”のビジネスモデルへと誘った)

僕は2社目の会社でWebのECサイトをつくっていたんですが、その際にWebサイト上のユーザーの動きを動画として可視化するサービスを使って、自分のECサイトをめちゃくちゃグロースさせました。1カ月でCVRが400%も改善したんです。

そこで、同じ機能をアプリ版でつくれば自分と同じ悩みを持っている人々を助けることができるのではと考え、ユーザーの操作を動画で再現する機能を中心とした分析ツールとして「Repro」をスタートさせます。

が、ふたを開けてみるとまったく売れない。

悩みました。

自分の足でクライアントを回って頼み込んでベータ版を使ってもらい、売れない理由を考え続けました。

そこで僕がやっと得た結論は、クライアントは分析できるツールが欲しいのではなく、「自分たちが関わっているサービスのKPIを伸ばす手段、つまり、“事業を伸ばす手段”を探しているだけだ」と。

1年もの時間をかけてやっとそのことに気づいた僕は、クライアントのKPI向上を実現する機能を、「Repro」に実装することを考えます。それは、手段として、クライアントが届けたいメッセージを、届けたいユーザーに、届けたいタイミングで手軽にプッシュ通知やアプリ内メッセージ(ポップアップ)として配信することができるというもの。

「Repro」を分析ツールではなく、ユーザーコミュニケーションまで一気通貫して行なうことができるマーケティングツールとするべく開発の舵を大きく切ることになったんです。

そしてやっと長いトンネルを抜け、順風満帆かと思いはじめた矢先に、1年回り道をしたツケが回ってきます。

資金ショートの危機です。

瀕死の状態で手にした“ブランド力”から見えてきたもの


(写真:瀕死の状態で手にした、B Dash Campピッチアリーナでの優勝)

当時のReproには、自信を持つことができるプロダクトの構想と、クライアントの成功に完全にコミットするというメンバーの熱意はありましたが、知名度も売上もほとんどありませんでした。

そのため資金調達では、17社から門前払いをくらい続けます。いよいよ倒産間近というところまで来たときにDGインキュベーション(以下、DG)の猿川雅之さんが「Repro」の可能性とメンバーの心意気に共感し、ほぼ即決で資金援助を決めてくださったんです。

もしあの時、猿川さんにお会いすることがなかったら、Reproは間違いなくあそこで死んでいたと思います。

DGからの資金援助によって、「Repro」はマーケティングツールとしての進化を遂げます。

が、またしてもなかなか売上が上がらない。

資金援助をしてもらう前と比べても1カ月あたりプラス10万円くらいの売上しかない状態が続いていました。

そしていよいよ残高1000万円、あと2カ月半で資金ショート、新たな投資家が見つからなかったら倒産という瀕死の状態で、B Dash Campのピッチバトル、ピッチアリーナでの優勝を勝ち取ります。

僕は逆境に強いんです(笑)

そしてB Dash Campの優勝を通して、いいものをつくるだけではなく、そこに「ブランド力」がついて初めて世の中に評価されるというマーケティングの極意を、僕は身をもって知ることになります。

“いいもの”をつくっているのに営業しても全然買ってもらえないというのが優勝前の「Repro」でしたが、優勝後はメディアへの掲載、ビッグクライアントとの契約、新たな投資家を得るなど一気に状態が好転したんです。

B Dash Camp優勝後、「Repro」はたくさんのクライアントに契約していただき、起業後初めて会社が軌道に乗り出します。売上高は約10倍に増え、初めて給料を自分たちの売上で賄えるのではないかと会社内にハッピーな空気が流れはじめて2週間後、地獄のような出来事が発生します。

突然、全クライアントが「Repro」で集計データの分析をすることができなくなったんです。

後編に続く)

Story from https://www.pr-table.com/repro

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