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人生は方向転換の連続。大手企業に行けた僕がベンチャー企業でエースエンジニアになった話。

プロフィール
氏名:田中 直樹
年齢:28歳
入社:2015年
所属:Developer


期待と怠惰と苦悩の学生時代

学生時代はどんな夢を持ち、どのような学生でしたか?

僕の夢は今でも変わっていないんですけど、どんな仕事でも良いので、そこそこ働いて、そこそこ稼いで、そこそこ休みがある。で、庭かバルコニーのある家に住んで休日にはガーデニングを楽しみつつ、育てたハーブをお茶にして堪能するみたいな生活(笑)

本当になんとなく「優雅な暮らしをしたいなぁ」ぐらいにしか思ってなくて、それこそ採用関連の記事では模範解答みたいになってる「将来はトップビジネスマンになりたいです!」とか「社会のために貢献したいです!」みたいな仕事に対するキラキラした夢は無かったのが正直なところです。

まあ、そんな感じで職種にこだわりは無かったんですけど、高校進学前から「情報系で食っていくことにするかぁ」ぐらいには漠然と考えてた部分があったので、地元京都の工業高校に進学しました。

高校ではアルゴリズム論、プログラミング言語はCとかC++をやって、実習ではマイコンにC言語でプログラミングする組み込み系を学びました。下手すると大学1,2年でやるような内容を高校で既にやってたかもしれないですね。

うちの高校は進学用の内申点、就職用の内申点がそれぞれあったんですけど、僕の場合は就職用の内申点が高くて20位/160位くらい。なので当初は就職を考えていたし、高校の斡旋枠を使えば大阪ガス、関西電力、JT、島津製作所、他にはワコールとか。有名な大手企業に就職しようと思えばできる感じでした。

でも、父親に「高卒就職で良い所に就職したとしても10年後、20年後に管理職に就けるか分からない」「大学に行って好きなことを学んで視野を広げるのも楽しいぞ」という助言を受けて、就職から進学へと進路を切り替えました。

ちなみに工業高校だと学力的には一般の普通科の人たちに比べてめっちゃ低い。だから工業高校出身の人は基本的には指定校か、工業枠特別推薦を狙うしかないんですけど、僕は進学用の内申点がめちゃくちゃ低かったんですよね(笑)

なぜかと言うと評定平均は3年間で5段階中4.0だったんですけど、3年の夏休み明けテストでめちゃくちゃ悪い点数を取ったからなんですよ。これは就職用の内申点に影響しないので当時はそこまで気にしていなかったんですけど、いざ進学となれば大ダメージ。「どうしようかなぁ」なわけです(笑)

で、大学一覧を色々見ていった末に"神奈川の大学にネットワーク科がある"ことを知って受験することになるんですけど、工業枠特別推薦の合格率は100%ではない。当然ながら落ちたくないので高校の教務課に相談したところ、大学に掛け合ってもらえると。結果、指定校推薦枠を1つ設けてもらえたんですよ。そんな感じで色んな人に感謝しつつ無事大学に進学って感じでした。


実際に大学に入学して感じたこと、大学生活について教えてください。

情報系の講義については1,2年のうちは正直クソつまらなかったです。これはしょうがないんですけど、普通科の高校から来た学生もいるので、講義レベルは僕の高校で習った内容よりもレベルが低いわけです。

なので情報系は教科書も買わずに講義中にはTwitterとかゲームをしたり、課題も講義中に済ませて出しちゃう。いざテストになっても「高得点です」みたいな(笑)でも逆に高校時代に就職コースを選んでいたせいもあって、必修単位の数学と英語はめちゃめちゃしんどかったですね。

本当に興味のある講義だけは真面目に受けていたかな。起業志向とかは特に無いんですけど、某チケット販売業者の創業者が講師を務める「起業基礎講座」って講義は本当に興味深かったのを覚えています。

でも改めて振り返るとやっぱり大学1,2年は本当にしょうもない学生で遊びまくってましたね。講義は15回中5回までは休んでも単位は落ちないので、講義をサボってゲーセン行くわ、ラーメン食いに行くわ、学校の図書館でDVD見るわ。マジでサボりまくってました(笑)

まあ、そんなこんなで2年の時にCiscoの機器の資格を取るための特別講習が休日にあったんですよ。ちなみにCiscoはネットワーク機器の会社で、業務用機器だとデファクトスタンダード。で、その講習は普通の一般人が受けたら10~20万円掛かるところを無料で受けられる。折角だったので受けたら、結構面白かったんですよ。で、そこで改めて思ったのが「ネットワークはやっぱ良いなぁ」みたいな(笑)

そういった背景もあって、元NTTの研究員が教授を務める「高速ネットワークの研究」に関する研究室に2年の頃から定期的に顔を出し、教授に顔を覚えてもらい無事に3年秋に配属決定。

ネットワーク系の研究室の中でもガチガチな方で、それこそ100~1,000万円の機器がテーブルにバンバンって置いてある感じ。雰囲気も「一人につきグローバルIPアドレスを10個ほど与えます」「ここにあるCiscoのルータとスイッチを使って自分で設定して接続してください」 みたいな、やる気のある人だけ付いてこいって感じの研究室でした。

そんな感じで研究室でパケット解析とか高速ネットワークの研究を続けながら、4年を迎えて就職と進学の選択の時期。もとより3年の終わりぐらいに「もうちょい学びたい」っていう純粋な心と「もうちょい学生でいたい」っていう黒い心があったので進学という気持ちの方が強かったですね。

でも教授に「大学院に進むにしても、レベルの高い国立の大学院を狙ってもいいんじゃない?」って勧められたんですよ。で、いざ国立大学院の募集要項を見たら「TOEICの点数を提出してください」「数学のテストがあります」だったんですよ。これはヤバイと(笑)

そこからは進学に向けて勉強を開始、半年ほどやって英語はある程度の点が取れるようになったんですけど数学には手が回らず。最終的に就職という路線に方向転換することになったんですよ。

ただ、いざ就職路線に切り替えるにも進学に向けて勉強をしていたので、就活を全然やっていなかったし、時期も大分進んでたんですよ。いわゆる「IT土方」も選択肢としてはあるけど、僕の中のネットワークとは違うなと思う部分があって、「ホントにどうしようかなぁ」みたいな(笑)

そして路頭に迷った挙句、最後の切り札として「PROJECT GROUP株式会社」というカードを切ることになります(笑)


修行と多忙と疲労のPG初期

PROJECT GROUPとの出会い、入社理由について教えてください。

まずPGとの出会いなんですけど、大学3年の春に当時PGでエンジニアとしてバイトをしていた先輩から「未経験でもいいからバイトしてみないか」という形で誘われたのがキッカケです。今でこそグロースハック企業ですけど、当初のPGは完全な受託開発の企業で圧倒的にエンジニア不足な状態だったんですよね。

その時に「まずSkypeの通話で挨拶をしましょうか」みたいなところから、田内さんと喋ることになったんですよ。いわば初対面ですよね。今でも忘れません。田内さんの第一声が「今ちょっとゲームしてるから待って」だったんですよ(笑)

まあ若い社長って聞いていたし、平日の夜なんでしょうがないかと思いつつ、いざ挨拶が始まったんですよ。で、田内さんから「田中くんは何のゲームやるの?」って聞かれて、「まあFPSとかですかね」って答えたら、「FPSやってる奴、マジ性格悪いからなぁ」とか言い始めて(笑)

初対面の人に無礼だし、普通の企業だったら絶対にありえない会話なんですけど、逆に僕が思ってる企業の人とは違うなと。それこそ高校~大学時代にインターン経験も数回していたので、企業の人とそれなりに会話もしてきたんですよ。でも「ここまで軽い社長は見たことない」みたいな。「ベンチャーってこういうもんなのか」みたいな。感動すら覚えましたね。

そんなこんなでバイトが始まり、実際にエンジニア業務に突っ込まれるかと思ってたんですけど「まずは勉強しようか」っていうことで、4月から7月まで、平日毎日21~23時までマークアップとサーバー構築について教わってたんですよ。でも、後に学業が忙しくなったこともあって、バイトとして働くことが当面の間できなくなって、一定期間PGとの関係は無くなりつつ。

で、大学4年の秋に大学院進学をあきらめた際に田内さん宛てに「サーバーエンジニアとして新卒で雇って欲しい」という連絡をしました。当時のPGは受託開発でサーバーエンジニアには需要があったので、半ば内定前提で面接を受けることになったんですけど、田内さんの軽い感じは健在でしたね。

田内「就活めんどくなったんでしょ?w」 田中「そうです」これで無事にPG入社となりました(笑)


PG入社当初に感じたこと、与えられた仕事について教えて下さい。

入社が決まってからはほぼ毎日オフィスに顔出して勉強したりしてて雰囲気は分かっていたし、メンバーともある程度の交流は出来ていたので、入社したてで右も左も分からないという感じではなかったですね。

それこそ正社員として出社した初日なんかは、真っ先に「ここにあるパソコン使っていいよー」みたいな軽い感じ。初仕事についてはメールサーバーを新規で立てるだったかな。その後はメディアサイト用にサーバー構築したり、受託開発の案件用にAWSで環境構築したり。本当に自分の想像していた通りの「サーバーエンジニアだなぁ」って感じでした。

ただ当時、僕の上長だった人が5月くらいからオフィスに段々と来なくなったあたりから大変なことになっていくんですよ。というのも受託開発で受けていた案件が大炎上して、先方の開発会社に出向してたんですよ。で、7月についに上司が蒸発。田内さんから退職のアナウンスがきて「入社3ヵ月で上司いなくなったんだけど(笑)」みたいな。

今と違ってカリキュラム的な物は存在しない"無法地帯なベンチャー"って感じだったので全部自分で覚えていく他ないし、自分がやってる業務について教えてくれる人もいない。環境がそうさせた部分はありますけど、社会人1年目にして自己推進と自己成長を強要された感じですよね。

で、問題なのがここから。蒸発した上司が受注していた「某大手車検会社の全システムを新しいサーバーに移管する案件」があったんですけど、上司が蒸発したもんだから僕に降ってきたんですよ。しかも信じられないくらい安い金額で受注してて。

まだまだ青い新人ながらも実際に着手したんですけど、まあ難航しまして。経験のない言語に悪戦苦闘する。ブラックボックス化されていてエラー原因が分からない。仕様書もない。中受け会社のシステム開発者は既にいない。ちょっとずつ進んではいましたけど、先が全く見えない感じでしたね。「いや、無理でしょ...」「誰も助けてくれないし...」みたいな。

自社からは進捗報告を求められ、先方からは催促され。完全に心労で仕事を休むようになって、1年経たないうちに退職を考えました。まあ、そんな時に田内さんから電話が来て「仕事の責任は社長である俺にある」「何かあっても責任は俺が取る」「諦めてもいい、だけど諦めるところまでは頑張ってみて欲しい」と。正直「かっこいい」と思いましたね。そこからは気持ちがかなり楽になったかな。仕事は進まないけど(笑)

最終的にPGはこの案件から身を引いて、僕も地獄から解放されるんですけど、後に聞いた話によるとクライアントと中受け会社でバチバチに大炎上したらしいです(笑)


転機と安定と覚醒のPG中期

グロースハック企業へ方向転換したことによる仕事の変化はありましたか?

PGが受託開発の会社からグロースハック企業に方向転換したのは、僕が入社した年の秋頃だったと思います。厳密には会社全体がグロースハックに方向転換したというよりは、メディア事業部の人たちが思い付きでグロースハックを始めたのが事の始まりなんですよね。

既にメディア記事のグロースハックはやってたんですけど、そこからLPのグロースハックに事業を拡張しようと。その当時、社内にデザイナーは居たんですけどマークアップする人が居ない。ということで僕を含めた2人がアサインされて、HTML/CSSをゴリゴリやる感じの期間が始まりました。

マークアップ言語は上長に教えてもらいながら、週2本ペースでLPを作っていました。簡単なものもあれば、フルレスポンシブ対応が必要な大変なものまで様々でしたね。変わらないのは自分で調べて、自分で試してみるって部分。ネットから答えのヒントを見つけ、自分の中で解釈し、応用し、改変する。必要な時は先輩を巻き込んでみる。この自己成長意識が後の問題解決能力に活きてきたと今でも思っています。

まあ、そんな感じでしばらくマークアップの仕事を続いて、落ち着いてきた頃くらいですかね。「クローラーを作って欲しい」という激重オーダーが急に来たんですよ。当時のPGではもはや伝統なんですけど「イケるっしょ!よろしく!」みたいに仕事をぶん投げる洗礼をもろに受けたみたいな(笑)

オーダーとしては、NetflixやHuluといった動画配信サービスにクローラー飛ばして、スクレイピングしてきた情報を自動でメディアに掲載、そこにアフィエイトリンクを貼るみたいな。今だと完全にOUTですよね(笑)

とりあえず「言語の指定は無いから、実現してくれ」と。これまでプログラミングは組み込み系しか経験がなく、Web系のプログラミングは初めてだったので当然「どうしようかなぁ」となるわけです。でも、ここでもやる事は一緒でしたね。

まずは色々な情報をネットから仕入れる。そしたら「Webページをテストするためのフレームワークを応用すればクローラーになる」というヒントを得たんですよ。

そこから新しいスキル習得も踏まえて、あえて経験のないRuby言語を使ってフレームワークを作ったり、なんやかんやありまして、結果として6,000記事を一瞬で投稿できるクローラーを完成させたんですよ。今でこそWebプログラミングは日常的にやってますけど、これが僕の仕事として初めてWebプログラミングだったんですよね。

で、クローラーを作ったはいいんですけど、マネタイズ出来なかったのか、手が回らなかったのか分かりませんけど最終的に放置されました。これも旧PGの悪しき文化かな(笑)

時が経ってPGがグロースハック企業として確立してしばらく経った頃ですかね。マークアップ業務も完全に安定して飽きてたんですけど、サービス根幹ツールにあたる「ABSolution」というツール開発の話が持ち上がってんですよ。開発メンバーはもちろん僕一人だったんですけど、初めて大きな開発プロジェクトにトライ出来るというのは刺激があって楽しかったですね。

紆余曲折ありながらも開発は完了して、社内メンバーはもちろんクライアントさんからも「使いやすい」「分かりやすい」みたいな言葉を聞けたのも嬉しかったですし、何より自分の作ったツールが事業推進に大きく貢献しているというのが快感でしたね。


心労と消沈と復活のPG後期

社内改革が行われたことによる環境・仕事・心境の変化はありましたか?

PG後期は社内改革によって変化が激しい時期でしたし、僕がうつ病になってしまった苦い時期でもあります。社内改革によって起きた一番大きな変化としては「従来通りのエンジニアとしてやるか」「開発チームとしてやるか」の選択を委ねられたことです。

大変になることを承知で後者の「開発チームとしてやる」という選択肢を取ったんですけど、まず今後メンバーが増えていくことを考えて、開発環境をチーム用に整える必要があったんですね。人が増えるのでソースコードの品質担保が必要。Gitのコミットルールの策定も必要。バックエンドとフロントエンドを別けた開発環境も必要。などなど。

その頃ちょっとしたツール開発の話が来たんで、実際にチーム用の環境で開発を進めてみたんですね。なんですけど今まで一人で大丈夫だったことが、チーム用の環境で、しかも一人でやるってなるとめちゃめちゃ工数が増えちゃったんですよ。それこそ5倍以上。

「一人でやってるのに大変なだけじゃん」「いやでも今後必要な環境だし」と自問自答しながら暫く続けてたんですけど、やっぱり時間は掛かるし、仕事は進まない。そのうち「今週は出社してるだけで仕事が全然進んでない」って考えるようになって、それが更に悪化して他の人から「アイツ何も仕事してなくね?」って思われてるんじゃないかって思うようになったんですよね。

そこからは睡眠障害が酷いし、オフィスには行けなくなる。そんな状態だったので田内さんに勧められて病院に行ったんですけど、案の定うつ病と自律神経失調症を診断される。で、そこからは療養のために休職しました。うつ病が回復してからは半日稼働で暫くの間は働かせてもらってたんですけど、自律神経失調症が酷くてまともに稼働できるようになるまでに3ヵ月くらい掛かったと思います。


社内改革によって管理職含む過去最大の退職者がでましたが不安等はありましたか?

正直「そうなんだ(笑)」くらいにしか考えてなくて、不安という不安は無かったですね。というのも部下の人たちが凄い優秀だったし、それこそ「上の席が空いただけ」だと思っていました。実際にそうなったんですけどね。まあベンチャー企業なんで人が増えたり減ったりするのは慣れてる部分もありました。

そんなことよりも"開発チームとしてちゃんと確立できるか"という責任部分の方が僕は大事でした。後にリファラル採用で入ってきた優秀な若手エンジニア、PG初期に上長だった先輩、PGでインターン後NTTデータに新卒入社して出戻ってきた後輩。今ではれっきとした開発チームです。

当時、僕が一人で作り上げた「ABSolution」の上位互換ツールを作ったり、既存ツールでは実現できなかったデータ計測ツールだったり、全体収支の総合管理ツール、データマーケティングの根幹ツールなど。やはり人手が増えたことでより大きなプロジェクトを任されることが増えていますね。

これまで大抵の場合は「個」として頭を使えば良かったんですけど、今では「集団」として頭を使う必要があるんですよ。ここはやっぱり難しいですね。自分は思っていた以上に「マネジメントに向いてないんだな」と思ったり、日々の苦悩もあります。

僕としては上司や部下、先輩や後輩に関係なく意見や相談がいつでもできるようなチームにしたい思ってます。 チームにプラスになるなら、指摘は遠慮せずに言えるべき環境であるべきとも思っています。ただし闇雲に指摘するのではなく「なぜダメなのか」を的確にわかるように徹底する。これらは僕が経験したPG初期時代の劣悪な教育環境を反面教師にした結果でもあります(笑)


理想的なエンジニアとは物事に囚われない人物のこと

田中さんにとって理想的なエンジニア、欲しい人物像とはどういったものでしょうか?

そうですね。よく聞くようなキラキラした回答だと「マーケティングで革命を起こすようなツールを開発するために、コミュニケーション能力が高くて経験豊富なエンジニアを募集!」とかなんでしょうけど、僕の見解は違うんですよね。

まず「エンジニア」というジャンルに囚われる必要がないと思っています。エンジニアスキルを持ったコンサルタントでも、エンジニアスキルを持った営業でもなんでも良いんですけど、とにかく何でも吸収して「何にでもなれますけど?」という姿勢が一番大切だと思います。

なぜかと言うとマーケティングに関わらず、あらゆるツールが世の中には飽和してると思ってて、そんな世の中でツールで革命を起こせるのは本当に一握りの企業だけだと思うんですよ。で、そこには天才的なアイディアマンと超ハイスペックなエンジニア集団がいる。

好きなことだから超特化型のエンジニアを目標にする人もいると思うんですけど、正直に言うと並大抵の「特化型」って下手すると使い勝手の悪いザコにすら成りえるんですよね。特化型という名の凡庸型というか。何かに特化するなら、ありえないレベルで強くならないといけない。そこには相当な覚悟が必要だし、相当な時間投資も必要になってくるんですよね。

だから僕の考えとしては、やっぱり「なんでも吸収して変幻自在のエンジニア」こそが欲しい人物像ではありますね。うちのデータ解析技術はトップクラスではあると思うんですけど、技術的な提案力はまだまだザコだと思っています。もしエンジニアなら「なぜこうなるのか」に技術的な見解を添えられるので、提案に厚みと明確な根拠が生まれるはずなんですよ。おまけに先方の開発サイドもすぐに理解できるし、コミュニケーションに無駄がない。

まあ、そんな感じで「エンジニア」として募集はしますけど、データ解析とかマーケティング、その他あらゆる物事に興味を持てる人を歓迎したいかな。それこそ他社で通用していたスキルも、PGだと物足りたいない可能性もありますからね。逆にその生ぬるい環境に不満を持っているなら、PGが合ってるかもしれませんね。PG在籍の人も、卒業した人も成長しなかった人は見たことが無いので是非来て欲しいと思いますよ。

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