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「今」をやりきることで、「未来」を作る。 - 株式会社プレックス取締役 植田 大貴

弊社取締役であり事業責任者である、植田さんにインタビューを行いました。

どういった経緯でプレックスを起業するに至ったか、組織や事業に対しての価値観、過去の経験などを深ぼっていきます。

プロフィール
植田 大貴:株式会社プレックス 取締役 キャリア事業部責任者
フリーランスとして、Webメディア運営(アフィリエイト)/Amazon SaaS/Webマーケティングコンサルなどで生計を立てる。
その後、2016年にYahoo!へ入社。企画営業/新規事業立案に関わる。
2017年からエス・エム・エスにて勤務。年間数千万円規模のWebマーケティング運用、新規事業の立ち上げに関わる。
Amazon SaaS開発の経験から、物流領域への拡張を考え起業するが、起業後に現代表の黒﨑と意気投合し、株式会社プレックスを創業。
1993年生まれ

── よろしくお願いします。早速ですが、植田さんが今担当されている領域を教えて下さい。

現在、物流のHRサービス「ドライバージョブ」を運営しているキャリア事業部の、事業責任者を行っております。

事業責任者として、事業戦略、組織構造設計、評価制度策定、オペレーションの洗練、各メンバーとの1on1などを、事業成長を最大化するために取り組んでいます。

Webマーケ畑出身ということで集客改善施策に取り組んだり、組織拡大にむけて採用面接に出たり、noteを書いたりなども行っています。

── すごい業務量ですね。そのコミットメントの強さ、ストイックさはどこから来るのですか?

後悔する苦しさを味わいたくない、というのが努力するモチベーションの源泉です。

中学1年生の時、バスケ部で仲の良い友達とユニフォームの17番と18番の背番号を争っていました。ユニフォームが渡された時、自分が貰ったのは18番。友達よりも後ろの番号でした。

実力的には友達と同じくらいかな?と思っていたので、自分が後ろの背番号だったとき、「なんであの日、朝練をサボったんだろうか」「どこが劣っていたんだろうか」と、自分がやり切らなかったことに対して、めちゃくちゃ後悔と振り返りをしました。

人生で初めて、強烈な後悔を経験し「後悔して苦しむくらいなら、やれるだけのことはやろう」と思うようになりました。

背番号争いで負けてからは、17番を勝ち取った友達が先に帰った後も1人で練習に励んだり、部活時間以外でも、湯船の中で手首を動かす練習を「手がつるまで」と決めてやったりしていました。

その結果、次のメンバー選出の際は、負けた友達よりも上の番号をもらえたり、3年生ではキャプテンに任命されたりなど、「やり切ることで、成果もついてくる」という体験をして嬉しかったのを覚えています。

── 後悔がきっかけだったんですね。バスケからビジネスに興味が向き始めたのはいつ頃ですか?

ビジネスに熱量を注ぎ始めたのは、大学1年生の秋でした。

大学に入学してバイトを始めたんですが、仕事内容が面白くなく、バイトを転々変えていました。焼肉屋のバイトをしていたときは、焼肉のタレで手が荒れるのが嫌で、肉にタレを絡ませる作業を「皮膚弱くて、手がかぶれるからダメなんですよ」と、嘘ついてサボったりと、やりたくないことはやらないようにしていました(笑)。

── めちゃくちゃバレそうな嘘ついてますね。その後にビジネスを始めるんですか?

その後は、スロットにハマりました。研究して、自分で実際に打って検証するのを繰り返していました。

店の雰囲気を見て、出玉が多い日か少ない日かを判断したり、目標利益額を決めてそれを達成したらやめるなどのルール付を徹底して稼いでいました。研究や練習することで成長の余地があり、生活に必要なお金も稼げるので、スロットに熱中するようになりました。

── 仮説検証を当時から回していたんですね。スロットはなんでやめてしまったんですか?

2つあって、1人でやり続けるのはつまらなかったことと、成長の上限が見えてしまったことですね。

バスケも、1人だけ本気でやり続けていたら多分続いていなかったと思います。一緒にドリブルの練習方法を研究したり、本気で優勝に向けて頑張ったりする仲間がいたので楽しかったんだと気付きました。

あとは、ある程度スロットの研究と実験が終わり、「あとはこれを繰り返すだけだな」と思ってしまったので、熱量が下がっていってしまいました。

── 一旦、スロットにのめり込んでいたんですが、長くは続かなかったんですね。

そうですね。そんなときにSNSなどで学生起業家の記事を見て、兄に話したところから、ビジネスの方に熱量が移っていったきっかけです。

兄がアイデアマンだったので、「こういうビジネスのアイデアどうかな?」と色々案を出してきました。

その案の中で、ホットペッパーのような飲食店の広告サービスを始めました。Twitterで大学生のフォロワーを集めて、そのアカウントで大学近くの飲食店向けにクーポンや広告を流すビジネスです。

営業やSNSに関する本を読み漁って知識を入れて、飲食店に片っ端から飛び込み営業をかけて回ったりしました。

── そのビジネスはうまくいったんですか?

全く収益が立たなかったです(笑)。

大学近くの飲食店だと、何もしなくても一定は人は来ていたし、飲食店側がクーポン発行するのが面倒になってしまったりと、うまく運用できませんでした。

ただ、収益は立っていませんでしたが、努力を積めば契約数やユーザーが増えること、営業やSNS運用の改善余地、成長余地が沢山あったので楽しくやれていました

この経験で、ビジネスが面白いと思うようになり、ビジネスに努力の矛先が向くようになりました。

── 収益が立ってなくても、熱中できることが見つかって楽しかったんですね。その後も色々なビジネスに取り組んでますよね?

クーポンビジネスの立ち上げを経て「客単価が低く、人海戦術的に契約数を増やしていくビジネスは、リソースがない間は厳しい」と思ったので、「少人数でも出来る、客単価が高いビジネス」をやろうと思いました。

偶然参加した講演にて、学生起業でエステサロンの経営をしている話を聞いていたときに、その講演をしている人のホームページを見たら、あまりキレイなサイトではなく、「ホームページに困ってるんじゃないか?」と思い、講演が終わった後に営業をかけに行きました。

実際に話してみると、「困っているが、ホームページやITに詳しくなくて改善できていない」という課題があり、WordPressやホームページ制作の知識は一切ありませんでしたが「改善しますよ!」と知っているフリをして、5万円くらいで受注しました。

── すごい度胸と着眼点ですね。

1度、飲食店のクーポンビジネスをやったことで、人が課題に感じるポイントについて感性が磨かれていたんだと思います。

その受注した5万円で、WordPressやホームページ制作の本を買って、サイトを仕立てました。

そのサイトを作ったことで、相手からも感謝されるし、お金ももらえるという経験が自分の中では大きかったです。

ホームページ制作を進める中で、「実はこういうこともやりたいんだよね」と、エステサロン経営者の方から相談をいただくようになりました。

「課題を相談される、解決策を探す、提案する、実行する」というプロセスにハマっていくようになりました。

例えば、「リピート顧客を増やしたい」という悩みに対して、「解決策考えますね」と持ち帰り、本を買ったりググったりして、メルマガやCRMについて学んで、相手がやりたいと思える提案方法のトークスクリプトを考えて、脳内ロープレを繰り返して、実際に提案して、受注して、実行して、結果を検証して..みたいな感じです。

このプロセスが楽しく繰り返しているうちに、月6~7万円程度は安定的に稼げるようになり、エステサロンの収益も伸びていっていました。

お金を稼げることよりも、「課題・仮説→インプット→提案→実行→検証」のプロセスが楽しかったという方が強かったです。

── 学生ながらコンサルをやってたんですね。仮説から検証までのプロセスは、今のプレックスの文化にもつながっている感じがします。

そうですね!エステサロンのコンサルも楽しかったのですが、労働集約だったので限界があり、自動的に稼げる仕組みにも興味を持ちます。

コワーキングスペースでアフィリエイトで稼いでいる人と知り合い、アフィリエイトやコンテンツマーケティング、SEOといった領域にどっぷり浸かりました。

その頃から、アフィリエイトにのめり込みすぎて大学もあまり行かなくなったひきこもり期になります。

── 引きこもってアフィリエイト一筋だったんですね。スロットとバスケの経験からチームでやる方が好きと考えていたと思うんですが、1人でやられていたんですか?

いくつかのビジネスは、人とチームを組んでやることもありました。今思うと自分の依頼方法が悪かったのですが、依頼したことをやってくれないなどの経験が多く、1人でやった方が早いなと当時は思っていました。

アフィリエイトでは、手当たり次第に色んなジャンルに取り組んで、当たるかどうかを試していました。

その中の1ジャンルで、2~3万円の収益を立てられるようになり、「なんでこのジャンル、このキーワード、この商材、このページは収益が発生したんだろう?」と仮説を立てて、サイトを改善していくプロセスにハマっていました。

一時期どこまで稼げるのかを試したところ、アフィリエイトやコンサルなど諸々の収益を合わせて、月250万円くらいの収益にまでなっていましたね。

── 月250万円はすごいですね。そのままアフィリエイトを続けて生活しても良さそうな気がしますが...。

元々そこまでお金が欲しいわけではなかったのと、成長の予測が付いてしまったので、熱量が下がっていきましたね。成長し続けること、自分という器が拡張していることに楽しみを見出しています。

大学卒業にあたり、個人で稼ぐ経験を出来たので、「大きな組織で、大きな事業をやってみたい」と思い、ヤフーに就職をしようと思いました。

── 成長できる余地がどのくらいあるかが重要なんですね。ヤフー時代の思い出深い出来事はありますか?

ヤフーに入っての学びは、周りの強さややる気によって、自分のモチベーションも影響されるタイプだと認識したことです。

最初は営業職だったのですが、飲食店のクーポンビジネスのときにやっていたことの繰り返しだったのもあり、あまり楽しくない日々を過ごしていました。

そんなときに、社内で新規事業立案コンテンスト的なイベントがあり、「ここだ!」と思って挑戦しました。

自分のビジネス案は通らなかったのですが、所属したチームの案が良い評価を受けて、新規事業として動かせるようになりました。所属していたチームもモチベーションが高く、一緒に取り組んでいて自分のモチベーションが上がるのを感じました。

しかし、新規事業を実現するには3年かかると言われ、「流石に長い。少しでも成功が見込めるなら、今からやればいいのに」と思って、スピード感に違和感を覚え、転職しました。

── その後、代表の黒﨑さん、セールスの山本さんと出会うエス・エム・エスに転職するんですね。

そうです。転職活動をする中で、エス・エム・エスと出会い、人事の方が事業の戦略を自分の言葉で語れていて、人事にも事業戦略が浸透していることに衝撃を受け、入社を決めました。

ただ、エス・エム・エスの最初は、なかなか成果が出せず苦しい時期が続きました。

エステサロンのコンサルをしていた時と同じく、自分に足りない知識や経験が何かを整理して、足りないところを埋めるためにインプット・アウトプットを繰り返していました。

ある程度行動する中で細かい成果は出ていたのですが、その中で思い出深い経験があります。

入居が決まった段階で、紹介料を頂くビジネスモデルの老人ホームマッチング事業でWebマーケをやっていたのですが、老人ホームの新規入居を増やすためにリスティング広告のタイトル文を価格訴求にしたところ、申込み数が1.3倍くらいになりました。

しかし、最終的な収益に繋がる入居数は伸びるどころか落ちていて、収益を上げるために様々な改善施策を行っていました。

「リスティング広告のタイトル文は、申込みが増えているから問題がない」と言われていたのですが、自分はそのタイトル文が収益低下の影響と考え、価格訴求ではなくより感情に訴えかけるタイトル文を変えたところ、入居の希望予算が上がる傾向が見られました。

1つの指標が向上したことにより、全体を見ずに部分最適を行ってしまったことは、大きな反省として今に活きています

── 全体最適の考え方や、強い目的思考はその経験が大きかったんですね。黒﨑さん、山本さんとエス・エム・エスで出会ったのはいつ頃なんですか?

老人ホームの事業で、大きな成果は出せず、くすぶっていました。そんな時に「事業を全体で見たほうが良いかも」と上司に言われ、新規事業の部署に1ヶ月位異動することになります。

そこで黒﨑さん、山本さんと出会います。

2人と一緒に新規事業の立ち上げを行う中で、自分は「ユーザーはこういう課題を抱えていそう」とか「こういうユーザーペインがありそう」という「0 → 1」の中でも、データとかが無い中で事業的に成功確度の高い「0」を見つけるのが上手いことに気づきました。アフィリエイトで色んなジャンルの収益性などを見ていた経験が活きていると思います。

黒﨑さんはその「0」を「1」にするところを確実に、速くやりきってくれる能力が高く、山本さんは「1」を分析し、「100」にするところに強みを持っていました。

お互いの強みを発揮できるチームで、強いメンバーが全力で頑張ることはバスケ時代と通づる楽しさがありました。

── 得意領域が分かれた理想的なチームですね。最初は黒﨑さんと別で起業する予定だったと伺っていますが、黒﨑さんと一緒にやろうとなったきっかけはなんですか?

まず起業しようと思ったのは、エス・エム・エスで今後やっていくとなると、新規事業を立ち上げる以上の成長できる経験が難しいと思ってしまったことです。今思うと、全然そんなこと無かったですが。(笑)

学生の時から漠然と起業は考えており、ちょっと何も考えてないみたいですが「でかいことをやりたい」とは思っていました。

個人で稼ぐのも、小さなチームで0 → 1を作るところもやったので、後は企業や大きい組織を0から作っていくところをやりたいと思っていました。

また、学生時代からECのSaaS開発をしていたこともあり、物流やEC領域、toC領域に興味を持っていたので、その辺りの領域で起業しようかとは考えていました。

ただ、黒﨑さんが起業する段階では、黒﨑さんと一緒に起業するとは決めていなかったです。黒﨑さんはtoB向けビジネス×物流をやると決めていたので、自分のやる方向性とは少しズレていると思っていたので、「お互い頑張ろう」という感じでした。

そんな状態で黒﨑さんが先に退職するんですが、黒﨑さんがいないと自分でも驚くくらい楽しくなかったんです。そして、このままお互いが別々で起業したら、一生黒﨑さんと一緒に働くことは無いかも、と。

そう思ったときに、「1人で起業するのはいつでも出来るが、黒﨑さんと一緒に起業するのは、今しかないな。」と思い、黒﨑さんと一緒にやらなかった後悔をしたくなかったので、一緒に会社をやると決めました。

── 黒﨑さんいると面白いのは共感できます。どっちが社長とか事業見るとかはどうやって決めたんですか?

黒﨑さんは、もう1人の自分っぽい感じがあるんですよね。目指す世界観、作りたい組織のカルチャー、複数事業を展開していきたいなど、同じだと思う点が多くあります。

だから、感覚としては「もう1人の自分が社長やってる」という感じです。

── お二人の思想が近いんですね。植田さんの10年後、プレックスの10年後どうなっていると思いますか?

僕自身の10年後は、僕が死んだ100年後に生きる人達も感謝してくれるような、大きな社会的インパクトを残す挑戦をし続けていると思います。

背景として、僕は、「自分自身は世の中の1つのパーツであり、子孫繁栄と同じように、後世のために努力し、バトンを繋ぐことが生きる目的だ」と考えています。

なので、あまりポジションとか権力とかにはこだわりがなく、自分より若い人や経験が少ない人にマウントを取らないように意識しています。

あと、将来的には、金銭的な価値ではなく、音楽とか美術といった感性についての領域に興味を持つんじゃないかなと。

音楽家や美術家は、その人の人生におけるストーリーが語り継がれ、価値となり、人々に学びや喜びを与える側面があると捉えており、後世に役立つという観点では、魅力的に感じるものがあります。

そして、プレックスの10年後は「わからない」というのが正直な答えですね。

ただ、その時の社会の構造や潮流を元に、立ち上げるビジネスを選択しているとは思います。「一時的な解決ではなく、世の中の仕組みを根本から良く変える。」というスタンスは、今のプレックスも未来のプレックスも確実に持っていると思います。

あとは、様々な事業作って、優秀な人が事業を立ち上げたり、運営したりする能力を身につけられる「箱」として存在したいです。

優秀な人が、プレックスを経由して世界を良くするために会社を立ち上げたり、団体を立ち上げたりとか。そういうビジネス能力を高めるジム的な存在になっていたら良いなと思います。

また、「会社」っぽいのが嫌いで、「あのポジションが空かないから昇進できない...」とかは絶対に嫌で、若い人のチャンスが得られる環境、もし新卒の自分が入ったらワクワク出来るような環境であり続けたいと思っています。

同じ志に共感できて、成長に対して貪欲に働き続けたいメンバーと一緒に働けれいれば幸せですね。

── ありがとうございました!

取締役、植田さんのインタビューを振り返ってみると、

・自分の好奇心や成長に対して素直で貪欲
・ユーザーの課題に対しての嗅覚、アンテナが鋭い
・モチベーションと能力が高いメンバーと一緒に同じ目標を目指す
・後悔しないように、ストイックにやり切る

というところが印象的でした。

植田さんの価値観や思想がより深く知りたい方は、記事やTwitterを御覧ください。

↓Twitterアカウント

https://twitter.com/0929uedadaiki

↓植田さん執筆記事

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