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設立から創業までのこと

この週末、地元の関西に戻った際に起業家を志す大学生と話をする機会がありました。

その際に創業時の事を聞かれ、そういえば振り返ったこともなく来たなと思いつつ、ホームページ改定の準備もあるので纏めておくのも悪くないかと。

前職(環境関係会社)にいた時、最初に就職した会社のスキルを活用することをお客さんは求めるものの、それを使うと前職の否定につながるという課題に直面したことがあります。
もっと単純に言うと、環境関連の会社ではコンサルティングは当時では撒き餌。調査や環境対策工事で食べているために、そっちに人数を手厚く配置していたため、コンサルをガッツリやりだすと調査や対策の部署には仕事が回ってこないという状態になることもあります。

環境会社からしたら社内ニートが増えてしまうビジネスモデルに陥りますから、「余計なことするな。ビジネスモデルどおりに注文取ってこい」と怒られます。
しかし発注者側の企業からすれば、(仮に売却するとして)環境対策して相場価格で売るのであれば、その分値引いて売れば時間は節約できます。それに早く代金が得られれば、新たな設備投資に回して利益を生み出すことが出来るかもしれません。
購入者側からしても、環境対策工事と新たな土木建築工事を一体で行えば安く出来るので、値引いて貰った方がおトクだったりします。(勿論、全てがこうなる訳ではありません)

これを指摘してビジネスモデルの改革をと話したこともありますが、取り合って貰えませんでした。
アドバイスした企業からフィーは入ってきてリピーターを増やしますが、社内には仕事を作りません。
逆にムリに社内の仕事を作ろうとしたとき、お客さんから本気で怒られてしまいます。
私にもそういった経験があり、大学の後輩とヤケ酒飲みに行って、何が正しいのかと悩みもしましたね。

そんな経験が幾つかあって、凄く懇意なお客さんの1人から「1円からでも会社が出来るし、君なら司法書士に依頼する必要もないでしょ!?」と独立を勧められた時に、レクリエーションとして会社を取り敢えず作ってみようとなりました(設立時はまだ前職に所属したままでしたし、定款は見様見真似で書きましたが何をするのかも決めていませんでした)。

その中で設立場所として捜し歩いたところで行きあたったのが写真の場所です。
ここの社長が中退されたものの同窓だと分かって場所が決まり、定時後や休日に打合せをしたりと随分使わせて貰いました。(勿論お金を払って)
定款は政府系金融機関の不動産部門のものをお手本にしたので幅が広く、今となっては助かっています。

問題は銀行ですが、最初に就職した時代に懇意にしていた地方銀行が「マジメにやるなら」とOKをくれました。実は、この時が初めて経営計画を考えるようになったきっかけです。
法務知識はあるので手続きは何も困らず、頭の体操感覚でやってました。ここに魂を入れるとなると後輩共々悩んでしまい、大阪合宿を企画して奮発して帝国ホテルに泊まりつつ夕方から朝まで部屋で打ち合わせをしましたね(普段の会議より白熱したかもしれません)。
そこで出来上がったものを地方銀行に持ち込んで、ダメ出しを喰らいつつ何回も書き直して完成。

最後は名前です。
コンサルと名乗れば不動産案件は来なくなってデベロッパーとの付き合いは薄れてしまうし、不動産屋は浄水器や保険も売っているんだから大丈夫でしょと安易に「○○不動産」とすることに決定。
その後、後輩も私も筑波大出身なので校章に関係した「桐」や「筑波」に関係する言葉で響きのイイものを探していました(筑波山を表す 「雙峰」や「紫峰」、単に「紫」、「桐葉」などさまざま)。
そんなことを懇親会の席で先代学長にお話しした際、幾つかの条件を了承するならばと頂いたのが、大学の宣揚歌にもある「茗渓」でした。嬉し過ぎて、後輩と涙目になったのを覚えています。
※畏れ多いと、現在は「茗渓」を旧字体の「茗溪」として用いています。しかし会社設立から三年生き残れば新字体に変えるつもりです。

全てが出来上がり、ボーナスを一部削って双方10万円ずつ、計20万円が最初の資本金でした。
そのお金で買ったノートパソコンが会社としての最初の買い物&資産です。
パソコンなんて消耗品ですから普段は何気ないものですが、その時は凄く嬉しかったのを覚えています。

パソコンが到着した日、2人で祝杯上げに九州料理屋まで行ったのも懐かしい思い出です。
この飲み会での遣り取りで気持ちの整理がつき、翌日に退職の意向を上席に告げに行きました。

不安はあったかと学生起業家志望の人たちからは聞かれますが、頭を下げれば受け入れてくれる会社が複数社あり、前々職からは出戻りして総務の管理職をやれと言われていましたので全くありませんでした(要するにダメでも逃げる場所があった)。ですから最初から「石の上にも三年」で状況を楽しむつもりでした。
そういった意味からも、私の事例は参考にはならないでしょう。

でも敢えて参考にして欲しいなと思いますのは、一度始めてしまうと止められないということです。
お客さんが困っているのに放ったままにして難破や座礁させるのは、経営の都合があるにせよ人間としては最低です。
中には「見合う金額を払わないから敢えてそうしてしまえ」という発想の方もいるのでしょうが、私にはそれが出来ませんでした。色々な繋がりが出来てくると全てが簡単ではなくなります。それは有り難い事でもあるのですが、一方では厳しい事です。

これを創業一発目にお見舞いしたのでかなりウエットなスタートでしたが、でも今は気にかけて下さる方がいるからと思っています。
この時にクレクレ営業は絶対にせず、暴利を貪ることもなく、当社の利ザヤが敢えて見えるような見積書づくりを心掛けるようになりました。その反面で値引は一切していません。
契約を取れるならばと、見積書を出した後に数字を合わせていくのは一般的な事です。ですが見積に見積を重ねていくと、最初の見積って何だったのでしょう?とならないでしょうか。
そんな恥ずかしい事をしたくないため、見える化して値引かないという手法を選びました。それにプロと動いていますから値引かれると能力を安く見られたと思ってしまい、仕事が面白くなくなります。

変わっていると言われていますが、この方法はあの時から全く変わっていないことの一つでしょうか。
それに値引かれていないので120%のパフォーマンスを提供し、20%はオマケして次回に繋げるというのも変わっていないルールです。

貸し借りが好きな関西人らしいと言われてしまえばそれまでなのですが。

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