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海外留学→メガベンチャー→大型外資での経験を経て、たどり着いた「幸福論」

こんにちは!

【社内インタビュー第8弾】今回はマーケティングの川下清彦さん!
初めて会ったときのKiyoはベイビーフェイスの金髪ロン毛でした。
いやぁ~、今回はイイ写真がたくさん撮れちゃったので、ちょっぴりひいき目に画像使っちゃってますw
ミンナ、スマンナ。。

バイオリンを始めた理由は、スタジオジブリのあのアニメ映画

ーー Kiyoは鹿児島出身だったよね?dofaって九州出身多いよね。
僕が鹿児島、デザイナーのたろうさんが長崎で、セールスのとしきさんは生まれが大分、育ちが熊本、福岡在住経験ありで、名前が宮﨑でしょ?笑
あとは佐賀と沖縄が揃えばコンプリートじゃないかな?

ーー ちなみに、わたしは鹿児島と青森のハーフだよ。
そっか。そうだったね。笑

ーー そういえば、Kiyoバイオリン弾くじゃない?バイオリンを始めたきっかけはなんだったの?
7歳のときに家の倉庫を掃除してたらバイオリンが出てきたの。「何これ?」って感じだったんだけど、どうやら父さんの古いバイオリンだったらしくて、それを試しに弾いてみたら意外に音が出たのね。初めはそれが楽しいなと思っただけだったんだけど、ちょうどその日が金曜日で、偶然、金曜ロードショーで「耳をすませば」を放送してたのね。登場人物に聖司くんっているじゃん。聖司くんの演奏を聴いて、子供心にこれはかっこいいなぁ。。と思って、「やりたいやりたい!」って母さんに頼んだのがきっかけ。
父さんのバイオリンは当時の僕には若干小さかったんだけど、その年のクリスマスにサンタがピッタリのバイオリンを持ってきてくれたのね。それで、その次の年から正式に先生についてもらって、勉強し始めるようになった感じかな。

ーー 「耳をすませば」に影響受けるとか、可愛いね。
今思うと、自分でも子供だったなぁと思うんだけど、当時は本気で感動したんだよね。
なんか音楽の力というかアイデンティティというか、家族の暖かさとか大人になっても楽しめる姿とか環境とか、そういうのが本当にすごくかっこいいなぁ。。と思ったし、自分もこういう大人になりたいなって思ったんだよね。

ーー いまは自粛中かもしれないけど、ライブするときにはちゃんと告知してよねー。まだKiyoの生演奏聞いたことないから!
おー!ぜひぜひ。月に2、3回ぐらいはライブしてるから。直近はさすがにコロナの影響でエンタメ業界はライブとかはなくなっちゃったけど、落ち着いたらまたやろうって言ってるから、その時は誘うねー!

ーー なんかさ。Kiyoは、わりと感受性豊かな子供だったのかなって、感じがするんだけど、実際はどんな子だったの?
確かに言われてみたらそうだったかも。
「これ言ったらどんな気持ちになるかなぁ。。」とか、よく考える子供だったかもしれない。


ご本読んでる風に見せかけて~、ご本読んでおります。

英語を勉強するなら英語が生まれた国でしょ!って思って、イギリスに留学した。

ーー 留学してたことあるじゃない?それも思考的な部分で関係してたりするのかな。
んー、どうだろう、、、でも確かに関係してなくはないかも。
留学でいうと、高校の時に短期でアメリカのニューヨークに、大学の時は途中で休学してイギリスのケンブリッジに一年間留学したんだけど、貧富の差とかクーデターとかを頻繁に目にすることが多くて、、、
なんというか、欲を全面に出している行為で賛否両論あると思うんだけど、他人からどう思われるかよりも自分たちが幸せになることを第一に考えている想いが源になっている行動っていうのが、僕には印象的だったな。

ーー 大学の時に留学先にイギリスを選んだのはなぜ?
通ってた大学自体が国際系の大学で、学生の半分以上が留学生だったんだよね。だから授業とかミーティングとかも英語で行われることが多くて、日本語では皆を納得させられるのに英語になった途端にそれが出来ないのが悔しくて、英語を勉強したいなと思ったの。それで、「英語を勉強するなら英語が生まれた国でしょ!」って思って、イギリスの語学学校に留学することにしたんだ。

ーー イギリスではどんなことをしてたの?
いろんなことをさせてもらってたんだけど、メインは英語の勉強をしてたね。ただ、人生で一番お金がない時期だったのね。というのも、恥ずかしい話なんだけど日本を出国する前に貯金をあんまりしていなくて。だから、両親からはそんな状況での出国をめっちゃ反対されてた。でも僕としてはできるだけ長い期間イギリスで過ごしたかったから、十分なお金がなくても、両親の反対を押し切って渡英したの。そしたら、一年間、1日3ポンド(当時490円ほど)とかで過ごさなきゃいけなくて、いつもお腹をすかしていたね。あの頃は本当にお金がなかった… だから、どうしてもお腹が空いてたまらないときは、路上でバイオリンを演奏してお金を稼いだりしてたよ。今考えたら相当やばいよね。笑

ーー いや、貴重な経験でしょ。
生きて帰れてよかったよ。本当に。笑


腹ぺこ時代の貴重な経験だね。

頑張りたい人が本気で頑張れる「機会」と「勇気」を与えられることが僕の幸せ。これが僕の幸福論。

ーー 帰国後はすぐに就職したの?
帰ってきたのが大学3年生の時だったから、そこからは卒業まで普通に大学生をしてた。当時、みんな Facebook を使っていて、こんなに世界をちっちゃくできるテクノロジーってすごい!って感動したの。そこからITに興味を持って、将来こんなサービスを創る側に回りたいなと思ったのね。でも、Webサイトの創り方すら知らないなと思って、「東京 Web 制作会社」でググって一番最初に出てきた会社に、その日のうちにアポを取って履歴書を送って、ってして、その結果、その会社で働くことになった。

ーー 1社目で決まるっていうのも凄いね!
当時はすごく鼻息荒く、勢いだけでなんとか乗り切ってる感じだったから、逆に面白がってもらえたんじゃないかな。 笑

ーー じゃあ、ITについて何も知らない状態で新卒入社したってことだよね。どうだった?大変じゃなかった?
すごく大変だった。本当に自分は口だけで実力がないんだなー…って事実を毎日突きつけられてた。
今となってはもういい思い出だなって消化はできてるんだけど、、、
当時は、大人は必ず正解を持っている優しい生き物だって信じてたんだよね。でも実際は足の引っ張り合いとか成果につながる仕事の横取りしたりとか、汚い部分がだんだん見えるようになって、「なんだかなー」って思ってた。だから新人育成とかもしてもらったことなかったなぁ。

ーー 純粋に業務以外の部分で、色々考えさせられることが多かったんだね。
そうだね。ある日、営業も兼ねてクライアントと飲み会に行ったんだけど、酔っ払った僕の上司が僕の事を弄ったんだよね。その時はヘラヘラ笑ってやり過ごしたけど、本当はすごく嫌だった。だけど、クライ
アントの顔色を見ていたらみんな笑っていて、それに違和感を感じたんだ。
今、「正しくないことが正しいことになっている」って。この世の中は数の暴力によって作り上げられているなと。
僕は一切飲酒しない・したことがないから飲酒する人の気持ちはわからないんだけど、そういう人ってごくわずか(社会的小集合)だと思うのね。僕の場合は偶然お酒がそうだったけど、もっと視野を広げると、"偶然"LGBTqだったり、"偶然"宗教だったり、"偶然"身体障害だったり。そういう"偶然"属している集合が小集合だったときに、数の暴力によって創られたそれぞれの地獄の中にみんな生きてるんだなと思ったのね。 いつの間にか無意識のうちに、民意による「区別」と「差別」の境界線がぼかされてきてるなと気づいたんだ。 だから大集合に所属している人たちが、より生きやすい仕組みになってるなって気づいた。 当時はすごくネガティブな感情で仕事してたね。

ーー そっか。その時代を経て、いまはどう感じてる?
そうだなぁ。単純に、当時に比べると圧倒的にできることが増えたから、今は楽しく仕事できてるよ! 業務の自由度や発言権を得られるようになったし、有り難いことにドゥーファは社長や会長をはじめとして社員全員が個人を理解しようとするから尊敬し合いながら仕事させてもらってる。そして、なにより自分が仕事を通して幸せだなって感じる瞬間があって、それは自分が教育した後輩が結果を残せた瞬間なんだよね。
数の暴力の上で成立している社会だからこそ、自分と関わった人には本質的に幸せになってほしいなと心から願っていて、だから頑張りたい人が本気で頑張れる「機会」と「勇気」を与えられることが、僕にとっての幸せだって定義させてもらえた。これが、僕の幸福論なんだよね。


うん。楽しそうで何よりです。笑


なんだよーぅ!ふたりしてー!!

ーー でも実際、世の中が不公平であることは悪いことだと思う?
良い悪いで言えば悪くないと思う。なぜなら、その不公平さが世の中に競争を生んでいて、その競争に勝ち得た人たちの功績の上で 世界は推進されていると思うから。
本質的な問題は、先天的に不利な立場の人たちが、数の暴力に押し負けて、後天的な努力ができなくなっている環境だと思う。その理不尽には僕は耐えられなくて、だからこそ、さっきも話したけど、僕にとっての幸せは本気で頑張りたい人が頑張れる「機会」と「勇気」を与えられることなんだ。
例えば、後輩がしっかり育つかどうかは、その後輩のポテンシャルだけじゃなくて、その後輩を育てる先輩が教育熱心なのか否かってことが結構あって、そういうのはできるだけフェアにしたいなと思ってる。

ーー そっか、そこから教育に関心持つようになったの?確か、将来的に教育に関わるサービス作りたいって言ってなかったっけ?
あー、そうそう。教育に関するサービスは将来創りたいなーって思ってるよ。

ーー あ!全然話し変わるんだけどさ、髪色変えたね。プリンじゃなくなってるw
そうそう。 この取材があるって言ってたから昨日美容院行ってきた。

ーー なになに~。できる子じゃないですか。そういえば、なんで金髪にしてるんだっけ?新色は金髪じゃなくてシルバーアッシュっぽいけどw
これは仕事とは全く関係ないんだけど、僕のバイオリンの師匠が京都にいるのね。その師匠は金髪ロン毛でなかなかインパクトのあるビジュアルなの。僕もバンドを持っていてライブハウスとかで演奏するんだけど、腕には自信があるんだけどなかなか覚えてもらえなかったりリピートが集まんなかったり、苦戦してたんだよね。そんな時に師匠に相談したら「まずは髪の毛染めろ」って言われて、人生で初めての金髪に去年してみたんだよね。そしたら意外に仕事でも初めて会う人に覚えてもらいやすくなって、これは便利だなーと思って、そこからずっと金髪。今回初めて気分転換にアッシュ系にしてみた。


左のおちゃらけダンディが師匠です。師匠、カコイイ!

ーー 出会った当時はKiyoも金髪ロン毛のベイビーフェイスだったね。てか、ゴメン。。めっちゃ話しが逸れましたわw
いや、ホントね。急に逸れたね。笑
真面目な話してたのにさっ!

ーー クレームが入ったので、真面目な話に戻します。はい。
クレームではないけどねw

ーー じゃあ、見てくれている人向けに、いまKiyo主導で力を入れ始めてるオンラインセミナーについての話と、最後の一言をくださいな!
今dofaではマーケティングの手法を絞っていて、その中の一つのオンラインセミナーに注力しています。オフラインのセミナーとは違って、なかなか勝手が違うところがあるんですが、どうやったら集客できるかなとか、オーディエンスが聞きたいコンテンツってどんなもので、どうやったらそれを担保しながらCVにつながるかな、とかを各チームのメンバーと議論し日々取り組んでます。
働き方改革って言葉がすごくホットな世の中になってきましたが、そんな時代に、副業はぴったりの働き方だと思います。副業は、頑張りたい人が十分に頑張れる手段になると信じていて、そういう人達ができるだけ幸せになる手助けになればと思いながら施策を実施しています。

これからも、僕は自分と関わった人には本質的に幸せになってほしいなと心から願うと思います。それを実現できるように、全力でがんばります!

<プロフィール>
川下 清彦(Kiyohiko Kawashita)
1991年生まれ。鹿児島県奄美大島出身。
Webディレクター、SEOコンサル、エンジニア、グロースハッカー、PdMと様々なキャリアを経験後、
2019年12月に株式会社ドゥーファに入社。
音楽とITが好きな事業開発者。
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