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いま明かされる、トップ交代の舞台裏——世代が変わっても引き継がれるアバナードのDNAとは【前編】

▲左:現・代表取締役の安間、右:元・代表取締役の石川(当時のオフィスにて)


15年前の、2005年7月28日にアバナードの日本法人は誕生しました。この「15周年記念特別インタビューシリーズ」では、その成長と軌跡を振り返ります。

第3回、第4回では、前編後編に分けて2014年の代表交代の舞台裏に迫ります。
創業したのは石川敬氏、2014年にその意思を引き継いだのが現在代表取締役を務める安間裕氏です。今から約6年前の代表交代の裏には、どのような物語があったのでしょうか。

前編となる本記事では、二人の出会いとアバナードの創業、そして退任の決意までをお届けします。

石川 敬(いしかわ たかし)/元・代表取締役
早稲田大学教育学部卒業後、アーサーアンダーセン(現・アクセンチュア)に入社。2000年にパートナーへ昇格し、通信・ハイテク、リソースマーケットの両業界で、大規模システムの実装を数多く指揮する。その後、マイクロソフト・ソリューションズ・オーガニゼーション(MSO)を立ち上げ牽引し、 2005年にアバナードを設立。代表取締役を約9年間務め、2014年に退任。

安間 裕(あんま ゆたか)/現・代表取締役
明治大学文学部卒業後、団体系保険会社、外資系商社を経て、1998年にアクセンチュアに入社。その後外資系広告代理店を経て、2001年に再度アクセンチュアに入社し、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズ株式会社の設立に参画し、2002年8月同社代表取締役社長に就任。2009年、アクセンチュア株式会社 執行役員アウトソーシング本部長、2010年執行役員ビジネスプロセス・アウトソーシング統括本部長を歴任し、国内ITコンサルティングファームの経営に携わった後、2014年4月アバナードに入社。5月に代表取締役に就任。


辞め時は、創業時に決めていた

— アバナードが15周年を迎えるにあたって、今回は代表交代の舞台裏に迫る記事を書きたいと考えています。

石川敬(以下、石川):実はね、自分の辞め時はもう創業する時には決めていたんですよ。

自分が退いても「この会社は絶対大丈夫」と思えたら辞めよう。そうずっと考えていました。予定では、50歳になった時にそれを達成できていると完璧なプランだったんですが、3年遅れちゃいましたね。


— そうだったのですね!「この会社は絶対大丈夫」というのは、どのようなタイミングだと考えていたのですか?

石川:例えるなら、ロケットを打ち上げて、二段階目に入るようなタイミングです。

打ち上げにはものすごいパワーが要るけれど、ある位置まで到達すると巡航状態に入り、その後、第二段階の発射に切り替えて進んでいきますよね。その切り替えのタイミングを狙っていたんです。

タイミングには、2つの条件を設定していました。


ひとつは、不況とその乗り越えの経験を持った時です。

どんな企業にも必ず、経営的に難しい時期がやってきます。その時期を生き延びるために企業はどうしても無理を強いられますが、そこを耐えてしっかり乗り越えなくてはいけません。

一度危機を乗り越えたという経験は、非常に大きな学習になるし、強さになる。組織としては、その経験を持っておきたいし、持っておくべきだと思っていました。


もうひとつは、十分な人材が揃った時です。これは、アバナードの存在意義にも関わるところですね。

マイクロソフトはアクセンチュアと提携してアバナードをつくることによって、全く新しいことに挑戦しようとしていました。簡単に言えば、プラットフォーム屋からソリューション屋に転換しようとしていたんです。

ソリューションを提供するということは、様々なタイプの人材が必要になります。技術が大好きな技術屋さんだけではソリューションの提供はできないので、たとえば金融業がわかる人、プロジェクトの進め方がわかる人など、お客様のニーズに合わせて答えられる人が揃っていなければ、自信をもってソリューションを提供できる姿には行きつかないじゃないですか。ですから、人材のバリエーションが必要不可欠です。

もっと言えば、何が組織成長のきっかけになるかも正確には分からないので、どんな波が来ても、その波に乗れるようにしておきたかったんです。

リーマンショックを乗り越え組織として強くなり、人材も揃った。この2つの条件をクリアし、アバナードが第二段階へとステップアップできると判断したのが、2014年でした。


クライアントから心友へ

— ところで、お二人はいつどのようにして出会ったのですか?

石川:出会った時は、アンダーセンのコンサルタントとお客様という関係でした。僕はコンサルタントとして、当時お客様だった安間さんのために、必死に働きましたよ(笑)


安間裕(以下、安間):僕のためではないと思いますが(笑)、その後、僕がアクセンチュアに転職したのは、石川さんがいらっしゃったからですね。

まず僕がアクセンチュアに行きたいと思ったのは石川さんがいらっしゃったからですし、希望通りアクセンチュアに入社できたのも石川さんがいらっしゃったからです。当時、事業会社からの中途入社が容易ではなかった時代でもありましたから、石川さんがいなければ今の僕はいないですね。

アクセンチュア時代、一番頼りにしていたのも石川さんでしたから、僕にとっては心の友。仕事における人生の分岐点は、すべてと言っていいほど相談させてもらってきました。


— 安間さんは、石川さんのどんなところに魅力を感じたのですか?

安間:タイプは違えど、自分と同じように「仕事をする以上は、周りの人を幸せにしたい」ということを、「真ん中」においているところですね。

ちょっと青臭いんですが、それをすごい真面目に喋っちゃうし、真面目に喋りながらビジネスとしてどう成立させるかを真剣に考えています。

やり方やテイストは違いますが、我々のブレない信念みたいなところが完全にシンクロしていたので、長い付き合いができているんじゃないかと思いますね。


安間さんがアバナード創業の影の立役者だった!?

石川:アバナード立ち上げ時は、安間さんが友達で良かったと心底思いましたよ。


— それはどんな理由からですか?

石川:アバナードの創業メンバー募集にあたって、アクセンチュア内で人材募集の講演会をやったんです。その時、手を挙げてくれたのがマイクロソフト・ソリューションズ・オーガニゼーション(以下、MSO)のメンバーで、それ以外にアバナードにきてくれたのが、安間さんの仲間でしたよね。

実は、米国シアトルでアバナードが創業した時、日本も立ち上げるかどうかという話があったんです。でも、2000年というタイミングは、マイクロソフトが日本でソリューションビジネスに取り組むには、役者も足りないしマーケットも整っていないというのがその時の我々の感触でしたから、立ち上げを見送っていました。


ー マーケットや人材は、どのような状況だったのですか?

2000年当時の日本のお客様は、Windowsに対して、「今後マイクロソフト系ソリューションがマーケットを席捲する」みたいな期待をしていたかというと、そうではありませんでした。むしろ反応としては、「マイクロソフトのテクノロジーを使って、どうやって勝負するの?」という状況だったよう思います。

そのような状況なので、当然マイクロソフトテクノロジーやソリューションに長けた人材も非常に少ない。

ですから、まずはマイクロソフトソリューションをリードできる人材を揃える必要がある。そこで、アクセンチュア内にMSOという組織を作って、マーケットを創出しながら未来の役者を育てていくことにしました。

約5年の時を経て、いよいよマーケットも人材も育ったというタイミングで、僕がいたMSOの組織と、安間さんがいたATS(※)の人材から、十数名でアバナードを立ち上げたのが2005年でしたよね。

※ATS・・・アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズ株式会社。アクセンチュア・グローバルで、コンサルではなくエンジニアの会社を別法人として創設、その後グローバルでアクセンチュアに統合。

▲オンラインインタビューの一コマ(左:石川、右:安間)


情熱が次に向かう場所

ー ところで、石川さんの背景には南国の雰囲気が漂っていますが、今はどちらにいらっしゃるのですか?

石川:今、マレーシアのジョホールバルというところにいます。

引退後は移住すると決めていたので、アバナードを退任して3ヶ月程でこちらに来ました。

日本にいた時の生活とは全く違って、24時間家族と一緒の生活です。


ー どうして代表に就任されたときから、辞めるときのことを考えてらしたんですか?

石川:僕みたいなタイプは、仕事をするとのめり込んじゃうんですよね。楽しくなってしまうので、仕事が一番になっちゃうんです。

でも、それはつまり仕事以外のことが全て後回しになってしまうということでもあります。いつまでも仕事に埋没するのはよくないと本能的に思っていたので、自ら辞め時を決めていたんです。

これまで仕事ばかりして他のことができなかった分、やりたいことがいっぱいあるので、今もすごく忙しいですよ(笑)

中でも特に僕が一生懸命になっているのは、子供を立派な大人に育てるプロジェクト。そのためにマレーシアのジョホールバルという地を選びましたから。


ー なぜ海外かつマレーシアなのですか?

石川:自分が理想とする子育てが、日本ではできないからですね。

日本の場合、ほとんどの子供が、小学校、中学校、高校、大学と進学してそのまま就職というルートですよね。そのような環境では、友達から大きな影響を受けていく分、親が子供に影響を与えることが難しいんですよ。それが嫌で、マレーシアのジョホールバルという場所を選びました。

ここは公共交通機関が発達していないので、僕が車で送り迎えをしないとどこにも行けないですし、生活するにもご近所づきあいが大事なので、ちょっと手がかかる場所です。

それに、日本人はごく少数でマイノリティ。

日本にいたら日本人だらけなのでマイノリティを感じることがありませんが、ここはそれを逆に感じる場所です。あえてマイノリティになる場所で、家族と24時間過ごす。ひと昔前の農村のような生活をしています。

こうやって何事にも本気で向き合いますし、その分のめり込みます。だから、代表を退くにあたっても、次の代表を誰にすべきかは非常によく考えて決断しました。

次回は、アバナードを安間さんに託した理由、そしてお二人が抱くアバナードに対する想いを伺っていきます。

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